脳が全てを認識するまでには、少し時間が掛かりそうだった。
まずは光。
太陽からまっすぐ届いた朝の光や、それが雪に反射して生まれた白。
次に匂い。
香ばしい、そして嗅ぐだけで温かさが届くような匂い。
そして音。
本当は最初から聞こえていたけれど。目覚めを拒んだから、届いてないフリをしただけだけど。
それでも、軽いパタパタと言うスリッパの音とか、誰かが紡ぐ小さなメロディーは、彼女の意識を少しずつ目覚めさせるに足るものだった。
嬉しい、という感情が篭っていたから。同じように、嬉しい、という感情がまだ理由も分からないまま芽生える。
ゆっくりと目を開くと同時に、体中の感覚が加速度的に敏感になるのが分かる。
強すぎて少し不快。研ぎ澄まされるというよりは一種の緊張。そして、それが体に染み付いてしまっていること。そのことを知っているから。
視界に入った物を、認識する。脳に届く。理解する。
大きくて、何となく呑気なぬいぐるみの顔が見えた。
少し、安心した。緊張が取れて、微睡みが戻ってくるような、そんな感じだった。
芽生えていた、嬉しい、という感情がもっと広がった。
体を起こすと、もっと色々なことが分かる。
自分の真横の、ほんの少し温もりを保っている布団とか。
片付いている様で昨日騒いだ跡が少し残っている机とか。
その昨日のことで、まだ少し疲れている自分自身とか。
まだすっきりしない頭で立ち上がってみる。履いたスリッパはやっぱり、ぱた、ぱた、と心地よい音を立てる。
「〜♪」
光が入ってくる大きな窓に背を向けると、視線の先にも小さな窓。
聞こえていたメロディーが、彼女自身の好きな曲だったことに今更ながら気付く。
大切な人のハミングを聴きながら、大切な人を、そしてそこにある物を眺める。
淹れたてのコーヒーと、その横の皿から立つ湯気。油で炒めた時の独特の匂い。
「タコさん……?」
――目覚めて最初の一言は、少し恥ずかしかったかもしれない。
自分の顔が赤くなるのを理解しながら、同時に舞は色々なことを思い出した。
そんな声に気付いたのか、「あ」と小さく声を上げて、佐祐理は親友の方にくるりと向き直った。
「おはよう、舞」
いつもの笑顔で挨拶してくれる親友は、やっぱり嬉しそうで。そして、舞も嬉しくて。
どうして昨日騒いだのか、どうしてこんなに嬉しいのか。
思い出したその答えを、彼女は、自分なりの笑顔に込める。
「……おはよう、佐祐理」
二人で暮らすこれからの日々の、はじめてのおはよう。
チンと鳴ったトースターからは、やっぱりいい匂いがした。
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